指導法も新たにするフェーズへ

これからの社会を考えたときに、子供たちに残してあげたい力が「自ら学びをデザインする力」だというところが前回の内容でした。

次の問いは

今の教育は「自ら学びをデザインする力」をつけられているのか?

ということです。この問題を考えるために、まず

今の教育は、なぜ今のような形をしているのか?

を整理しておきます。

現在の教育システムは大まかに言えば18世紀~19世紀の産業革命に端を発しています。

産業革命によって多くの生産活動を工場で行うようになりました。「工場のラインで働く」というやつです。

ちなみにこれより前は職人さんの手作業による生産がほとんどです。人間の技術による生産から工場での生産に移行したと言っても良いでしょう。

また、経済のあり方も変化し、資本主義などはこの産業革命によって生まれた考え方です。

こういう変化が起こると、教育もそれに合わせて変化します。この時代に必要だった人材とは

・管理者の言うことを忠実に守ること

・マニュアル化された単純作業の吸収力が高いこと

・決められたことを精度よく真面目に行うこと

(なぜそんなことしないといけないの? と疑問を抱くことなく忠実であること)

です。

これが今の教育(や受験業界)でも引き継がれ

・先生の言うことを忠実に守ること

・マニュアル化された問題の解法を吸収する力が高いこと

・決められたルールは疑うことなく守ること

こういった要素を持っている生徒が「真面目で、優秀な生徒」という評価を得るという教育環境ができました。

ざっくり書きましたが、これだけで「自ら学びをデザインする力」なんてものとは到底無縁の教育システムであるということはお分かり頂けるかと思います。

それもそのはず。現在は産業革命を経て、さらにデジタル革命まで起こった社会です。このデジタル革命によって再度人々は「働き方の変更」を要求されています。その現在の「デジタル革命による社会」を指して僕は「自ら学びをデザインする力」が必要だと言っているわけですが、教育システムが想定しているのは「産業革命による社会」だからです。

ということで、冒頭の

今の教育は「自ら学びをデザインする力」をつけられているのか?

という問いの答えは当然ながら

NO

ということになります。

引き算の教育論

次なる問いはもちろん

じゃあ、どういう教育(指導)に変えていけばいいのか?

です。

これに関しては僕は最近勝手に「引き算の教育論」と名付けた答えがあります。

今の教育はとにかく大人(先生)が子供(生徒)に足し算をしまくります。

どういうことかと言うと

・ちゃんとルールを守るように制限を加える

・生徒が学ぶ内容は全て先生が指示を与える

・内容についても先生が説明を加える

・生徒がちゃんと内容を身につけたかどうかを測定する

・測定結果をもとに先生が生徒を評価する

繰り返しますがこれは産業革命による工場労働を想定した内容です。工場での仕事は「みんな同じ」ですから、個性なんて育んではいけません。

制限をかけ、指示を出し、説明し、統一のテストで測定し、評価する。こうすることで平均化を達成しようというのが教育の主たる目標でした。

未だに生徒たちは「平均点」というものを重く捉えがちですが、これはこれまでの教育の一種の「洗脳」と呼んでも良いものです。

この制限・指示・説明・測定・評価という5つのキーワードは全てベクトルが

先生 ⇒⇒⇒ 生徒

になっている点が重要です。そもそもこれら5つは大人の側から言い出さない限り子供の世界にはないものなのです。

つまり大人が子供に「足し算」をしているということです。

 

僕が塾で実践している「引き算の教育」というのは制限・指示・説明・測定・評価という要素をできるだけ子供から「引き算」しようというものです。

できるだけ制限をかけないように/できるだけ説明をしないように

前述したとおり、僕は生徒に先に解法を教えることは基本的にありません。

「好きにやれば?」

というスタンスです。もう少し細かく言うと、まずは自力で考えてもらいます。それで無理なら教科書やタブレット(Googleなどの検索エンジン)で調べることを提案します。それでも解決が見込めないなら一応解説しますが、その際には必ず「なぜ自力で解決できなかったのか」という観点で認知心理学的な指導を加えます。これはちょっと専門的なので別の記事で取り上げる予定ですが、これをしないと生徒は

「わかりません」と言ってたらいつか先生が助けてくれる

と学習してしまうので、これはむしろ生徒の思考停止を促すことになってしまいます。

とはいえ高校数学とかになると結構難しい問題も多くて、さすがに自力では厳しい問題も多くなります。その時も

「この問題はこうやって解くものだよ」

という指導はできるだけしないようにしています。

「世の中には賢いヤツがいるもんで、こんなすげーやり方を見つけた人がいるんだよ!これ思いつく普通?無理でしょ?ここまでいくと変態だよね(笑)」

というテンションで伝えます。別に演技ではなく本当に思っていることなので、ちゃんとこのニュアンスのまま生徒には伝わります。

これは大人の勉強でも同じですが、自分で考えているだけでは到達しない領域はありますし、先人たちの残してくれたものに敬意を払い、それを真摯に学ぶ姿勢は絶対に必要です。ただ大切なのは

まずは自分の頭で考えてみる姿勢を持つ。その力を強化するために先人たちの叡智を学ぶ。

というスタンス自体です。結果として問題を解けるかどうかは本質的にはどうでもいいことです。

そのためには指導者は制限をかけないようにするべきです。まずは自由な発想を促すことが必要です。

 

できるだけ指示を出さないように

ウチには原則として「宿題」という概念がありません。家庭学習に関しては授業内で学習プランを考える時間を取っており

「今自分に足りない力を強化するためには、どんな勉強をしたらいいと思う?」

と問いかけるところからスタートし、自分で学習計画表を作成してもらいます。

そして生徒が考えたプランを

「じゃあそれでやってみれば?」

と承認するのが基本路線です。小学生の指導に関しては要望があった場合、部分的に宿題を出すことがありますが、それも必要最低限に留めますし、生徒が

「宿題やってきてません」

と言っても怒りません。

「ふ~ん。そうなんだ~。」

ぐらいのリアクションです。この対応をするのが「怖い」と感じる指導者も多いはずです。やはり世の中には

子供は大人が指示を出さないと動けないもの

という考え方は根深く残っています。しかしこれは違います。子供たちが動けなくなるのは指示がないからではなく

自分に何が足りないか 
自分に足りないものを埋めるためにどんなトレーニングが必要か
を考える習慣がないから

です。そこをちゃんと問いかけて、考える時間を取ってあげれば指示などなくてもちゃんと行動できるのです。

もちろんプロの目線から見て「足りないな」とか「こっちの問題を練習した方がよくない?」と思うこともあります。

その場合も

「これじゃ足りてないよね?」 「こっちの問題の方がいいよね?」

とは言いません。大人と子供、講師と生徒という関係性ですから、こういうセリフを言ってしまうと生徒には

「これじゃ足りてないよね?」   → 「もっと増やしなさい」
「こっちの問題の方がいいよね?」 → 「こっちの問題に変えなさい」

という指示として伝わってしまいます。ここは講師としての技術やノウハウの話になりますが、

ウチの塾は生徒を束縛するつもりは全くない

ということをちゃんと伝えて上で、学習のメカニズムを教え、再考を促すことでちゃんと意図したニュアンスで伝えることができます。

できるだけ測定をしないように

ウチにはテストもありません。テストとは「先生が生徒を測定する」という行為だからです。

とはいえ勉強を進める上で、「どれくらいできるようになっているのか」を知る必要はあります。

ではどうするかと言うと、例えば英語を勉強している生徒に対しては

「ちゃんと理解できてるかどうか、問題でも解いて確認してみたら?」

と提案します。場合によっては

「このプリントとかが、レベル的にはちょうど良いと思うよ」

ぐらいの提案まではしますが、結局解いて、答え合わせをしているのは生徒です。

大切なのは先生が生徒を測定しているのではなく、生徒が自分の学習成果を確認しているということです。

「全部正解してました!」

と報告してくれるときは、生徒自身がこの単元はちゃんと理解できているぞと確認できているということです。

そして

「半分しか正解してなかった…」

というときは、生徒の頭の中は「なんでだ…!?」となっています。僕ら指導者の出番はむしろここで

「勉強のやり方こんな感じだったよね?ここの部分がうまくいってなかったんじゃない?」

と指導することで学習を改善していきます。

できるだけ評価をしないように

僕ら塾の人間はそもそも生徒を評価する立場にはいません。

学校のテスト返却があったとき、講師は

「テスト返ってきた?ちょっと見せてよ」

と声を掛けますが、入会したての生徒は

……………すっ…………

と差し出して黙ってしまったりします。これは明らかにこちらが評価を下すのを待っている姿勢です。

こういう生徒は頭の中に

子供:努力する係 / 大人:それを評価する係

という構図ができてしまっています。しかし自分で勉強するスキルを身につけている生徒は全く異なったリアクションをします。

自分で勉強ができる生徒は

「テスト返ってきた?ちょっと見せてよ」

と言うと、テストを手渡しながら内容について説明を始めます。

「練習してきた関数の問題で取れなかったです。テスト中は気づかなかったけど、これよくみたら練習した問題の応用版ですよね?後でやってみたら簡単にわかりました。めっちゃ悔しい!でも全体の点数としては目標点は超えたし、入試というか、内申点を考えても悪くない点数だと思います」

という感じです。自分のテストに対して大人の評価より前に自分自身で評価をしていることがよくわかると思います。

ウチとしてはテストに対してこういう捉え方ができる生徒になって欲しいと思っています。だから学校のテスト返却に関しても指導上の工夫を設けており

「テストどうだった?点数より前に満足度とか感触とか教えて」

「練習してきた内容に対して、結果が伴った部分とそうでなかった部分を教えて」

と聞くようにしています。

こちらは点数という最終結果が聞きたいのではなく、

その中身(努力→結果までの一連の流れ)が知りたい。

自分がやった努力に対して、

まず自分自身が考え、

評価できるようになって欲しい

というメッセージです。