僕はかれこれ10年以上、生徒たちの学びに関わる仕事をしています。

(あえて 塾講師 とは言いません)

その中でずっと「学ぶ」ということについて考えてきました。

今年からブログやメルマガで今まで考えてきた「学ぶ」ということや、それを支える「指導」や「教育」のあり方について少しずつですが発信し始めています。

 

今日は「塾業界のこれまでとこれから」と題して業界の歴史や現状を見ていきながら、そこに関わる人たちがどのような歩みを辿ってきたか、そして部分的ですが、これからどのようになっていくのかを書いてみたいと思います。

1.「どう教えたらいいか」の時代(カリスマ講師の時代)

今現在、指導者もしくは親世代の方々は受験と言えばやはり「予備校」というイメージではないでしょうか?1980年代から一気に勢力を伸ばした

・駿台予備校

・代々木ゼミナール

・河合塾

が「三大予備校」と言われ、大学受験を目指す人はこのどれかの予備校に通うことがほとんどでした。ちなみに僕は駿台予備校に通ってました。

どの予備校に「カリスマ講師」と呼ばれる先生がいて、その先生が講座を開くとなると受講申し込みが殺到し、受付からものの数分で満席になってしまうという、アイドルとか人気バンドとかのレベルだったこともあるようです。

 

この時の先生たちの取り組みは参考書を読みまくるとわかります。

とにかく「どう教えたら生徒たちはわかってくれるのか」を模索している時代です。それぞれの先生が自分の指導する科目について、より簡単に、より面白く、よりわかりやすく説明しようと研鑽を積んでいく様子が本屋さんに並んでいる参考書にありありと浮かび上がっています。

 

その研究のおかげで、今は本屋さんに行けばどの科目のどのレベルの本でも非常にわかりやすいモノが山ほどあります。

そしてこの「どう教えたらいいか」の領域はほぼ完成の域にあると言っても良いように思います。既にほぼ全ての科目で「完成形」と呼べるレベルの説明は発見されていますし、実際最近の参考書は説明の部分に関しては数年間あまり大きな変化を見せていません。

 

2.カリスマ講師の進化(映像授業の時代)

三大予備校を筆頭にし、先生たちが「どう教えたらいいか」を研究して切磋琢磨し、勝ち上がった人が「カリスマ講師」の称号を得る時代は、2000年代に入って変化を迎えます。「映像授業の時代」の到来です。

 

それまでのカリスマ講師達による教え方競争という構図には1つ弱点がありました。それはカリスマ講師がいる校舎は良いが、そうでない校舎は困るということです。

 

映像授業という考え方はつまり

 

「結局、一番わかりやすい人が全員を教えられたらいいんじゃないの??」

 

という至極シンプルで当たり前な発想によるものです。確かにその通り。それが可能なら一番良いに決まっています。

 

そしてデジタル革命により環境的にもそれが可能になりました。もちろん筆頭は皆さんもご存知の東進ハイスクール(東進衛星予備校)です。

 

昔ながらのカリスマ講師による予備校的な授業と映像授業は、生徒の受講風景をカメラに収めたら全然違うモノに見えますが、根底にある考え方は同じです。つまり

 

「生徒が勉強ができるようになるには、わかりやすく教えてあげたらいいんじゃないか?」

 

ということです。

3.「何を教えたらいいか?」の時代(個別指導の時代)

映像授業とだいたい時を同じくして、流行ったのが個別指導です。

この個別指導の考え方とは

 

「生徒ごとにレベルが違うんだから、みんなが同じ授業を受けるのって無理があるんじゃないの??」

 

というこれまたシンプルにして真っ当な発想です。確かに生徒の学習は細かく見れば千差万別であり「本当に必要な説明」は一人ひとり異なるハズです。

 

ここでは「個別カリキュラムの組み方」などが発達しました。

例えばこれまでは「不定詞」と一括りにされていた単元をさらに

・名詞的用法

・形容詞的用法

・副詞的用法

・形式主語構文

・意味上の主語

・不定詞の完了形

・不定詞を使った慣用表現

などと細分化し、生徒の学習状況をより精度よく把握し、それに適したカリキュラムを個別に組むという手法が発展してきました。

つまり、これまでの「どう教えたらいいか」という観点から「何を教えたらいいか」という観点にシフトしていったということです。

 

一方で、このやり方だと一人の先生が担当できる生徒の数に限度があり、一般的な「毎月の塾の授業料」の枠内だと一人の先生が多くの収入を得るのは難しい構図になります。

 

ですから個別指導は大学生や主婦がアルバイト(パート)として講師を務めることが一般的であり、人間の指導技術についてはそこまで発達はしませんでした。

 

4.個別指導の進化1(メンタルケアの時代)

個別指導業界では激しい競争の中で新たな視点が発見されていきます。それが「生徒のメンタルケア」です。これは

 

「どう教えるとか、何を教えるとかより、そもそも生徒にやる気のない状態だったら何をどう教えても無駄なんじゃないの??」

 

という、またまたシンプルで核心を突く考えによるものです。

 

個別指導の講師の強みは「生徒一人ひとりと指導以外の会話の時間が持てること」です。そこで信頼関係を構築し、

 

「勉強がんばろうよ」

 

と生徒を説得するというある意味原始的な方法です。

生徒も慕っている先生から「がんばろうよ」と言われると

 

「…うん」

 

と返すしかありません。

 

「〇○先生が出した宿題だからやる」

 

というのは個別指導塾ではごくごくあり触れた風景です。

 

ですがここでも個別指導の弱点が顔を出します。前述したコストの問題で、個別指導の先生は大学生か主婦が一般的です。コミュニケーションのセンスの良い先生は特に練習をしたり、技術を学んだりしなくても生徒と良い関係性を築くことができるのですが、そうでない先生だった場合、その先生を研修する予算が個別指導塾にはないのです。また、給与面などの待遇を上げて優秀な先生を囲い込もうとしても限度があります。そもそも大学生の割合が多い個別指導塾では良い先生を育てたり、囲い込んだりしても最大4年で卒業して出て行ってしまいます。

 

当然、競争も研鑽もそこには生まれません。結果として

「生徒のやる気を引き出すことも大事だよね」

という考え方が確かに浸透はしたものの

「だったらどうすれば良いの?」

という問いに対するノウハウは生まれることはありませんでした。

 

ですので「進化」と書きましたが、厳密には「進化の途中」かもしれません。しかし、確実に「新たな視点を定義する」ことには成功したと見て良いでしょう。

 

5.ハイブリッドな時代

そして今に至ります。ここまでの流れを整理し、補足します。

 

「どう教えたらいいの?」

→数学の2次関数がわからない2人の生徒A君とB君。A君はわかりやすい先生の授業を聞いて2次関数を理解しました。B君の先生はわかりにくくてイマイチ何を言っているかわかりません。これだけA君の方が勉強ができるようになりそうですね。

 

(現状)カリスマ予備校講師達の競争と研鑽により、既に最善解に近い教え方は確立されている。しかもそれが映像授業で誰でも見れる環境に。最近はYoutubeなどの浸透により無料に近い状態にまでなった(もちろん本屋の参考書なども充実)。

 

「何を教えたらいいの?」

→物理の力学がわからないC君。ある先生の授業では「とりあえず力学を最初からやっていこうか」と速度と加速度から勉強し始めました。「これはわかるんだけどな…」という感じ。1カ月たって担当講師交代。新しい先生は「力学のどこが苦手??」とヒアリングからスタート。授業では作用・反作用を習って「これがわからなかったんだ!そういうことだったのか!」となりました。これは後者の先生に習った方が勉強ができるようになりそうです。

 

(現状)単元の細分化により生徒の学習を細かく評価する技術は確立された。ただし「全ての塾がこのノウハウを持っている」というワケではなく、持っているのは大手の中でも一部。あとは力量のある先生が個人として持っている。

 

「生徒のやる気はどう引き出せばいいの?」

(現状)生徒のやる気に目を向ける必要性だけは周知されたものの、そこに有効なノウハウはまだ確立されたとは言い難い。

 

という3つの視点が発見されてきました。その流れを受けて、今の塾はたいていこの3つのポイントをクリアできるように頑張っています。

 

例えば映像授業を主体にした塾では

「どう教えるか」→カリスマ講師の映像授業

「何を教えるか」→細かな小テストなどで生徒の学習状態を把握、「チューター」と呼ばれる人(多くは大学生)がマニュアルを基本にして決定。

「生徒のやる気はどう引き出すか」→これもチューターが担当。しかし個人の力量に依存していて、有効なノウハウはない。

 

個別指導を主体にした塾では

「どう教えるか」→アルバイトの講師に加えて、部分的に映像授業を導入(安くなったから)。

「何を教えるか」→担当講師が自分の担当生徒を評価し、決定。ノウハウを用意してシステマティックにやる塾もあるが、基本は担当講師の力量に依存。

「生徒のやる気をどう引き出すか」→これも担当講師が担う。こちらも同様に個人の力量に依存し、有効なノウハウはない。

 

このように、映像授業と個別指導がお互いの良いところを取り入れ合っている様子がよくわかります。

 

ところで、実はこれまでには紹介しませんでしたが、個別指導塾は生徒のやる気を重視したメンタルケアという進化の他に、もうひとつ進化のルートを辿っています。

 

なぜ紹介しなかったかと言うと、結局何も生み出せずに一瞬で消えていってしまったからです(笑)

しかし、ここから話を進めるにはどうしてもこの「もう一つのルート」を紹介しなければいけません。

少しだけ時間を巻き戻して、個別指導のもう一つの進化ルートを見ていきたいと思います。

 

6.個別指導の進化2(自学自習形式の塾)

今から数年前に、個別指導業界でちょっとだけ流行ったスタイルがあります。それが「自学自習形式の塾」というものです。

 

その名の通り生徒が自学自習をする塾です。こう書くと

「それって塾なの?」

という感じがします。

 

形式としては個別指導の亜種で、基本的に生徒は一人で勉強しているのですが、時々先生がサポートに回ってきてわからないところを質問します。

 

個別指導との一番の違いは

「わからない問題を解決するというタスクを生徒自身が担うのが原則である」

という点です。

それまでの個別指導では

「わからない」

となった時点で先生の出番です。しかし自学自習形式の塾では

生徒が自力で解説を読んだり、調べたりしてわからないモノを解決しようと試みます。どうしても自己解決できない場合のみ、先生が解説をします。

どうやって解決するかは塾によって異なりますが、映像授業を見たり、参考書を見たり、タブレットで調べたりといった感じです。

 

誤解を恐れずに言うならば、僕はこの「自学自習形式の塾」というヤツは塾業界の黒歴史だと思っています(笑)

なぜなら、これまで紹介してきた塾のスタイルと違って

・何も視点を定義できていない

からです。

 

ここまでのスタイルは、「どうやったら生徒たちは勉強ができるようになるのか?」について何らかの視点を提供し、そのために指導者がノウハウを磨いてきました(完成度の高さは別問題として)。

 

「生徒たちが勉強ができるようになるには、わかりやすく教えてあげたらいいんじゃないか?」

→「教え方を追求しよう!」

 

「生徒たちが勉強ができるようになるには、つまづいている箇所をピンポイントで見つけてあげて、そこをケアしてあげたらいいんじゃないか?」

→「個別カリキュラムの組み方を追求しよう!」

 

「生徒たちが勉強ができるようになるには、やる気を引き出してあげたらいいんじゃないか?」

→「生徒との信頼関係を重視して、やる気を引き出すコミュニケーションを追求しよう!」

 

ところが自学自習形式の塾が謳っていたのは

「生徒たちが勉強ができるようになるには、生徒たちが自分で勉強したらいいんじゃないか?」

です。それはただ同じ意味のことを2回言っただけで、新たな視点など全く見当たりません。

 

勉強なんて、誰に教わらずとも一人でできた方が良いに決まっています。

「子供には、自分で勉強できるようになって欲しい」

とは全ての親御さんの願いではないでしょうか?

 

当時、自学自習形式の塾では

「お子さんが、自分で勉強できるようになりますよ」

と謳っていました。

しかし

「どうやって?」

という問いに対しては

「ウチでは生徒が自分で勉強するからです」

という得意の「同じ意味のことを2回言う」ことしかできていなかったのです。

 

7.見落とされた視点(自学自習形式の塾を再定義する)

さて、1章使って自学自習形式の塾をボロカスに書いてきたのですが、何とウチも自学自習形式の塾に分類されます(笑)

 

ただ、もちろんここまで批判した以上、ウチは指導に「新しい視点」を定義しています。

これまで指導では、ある視点が見落とされてきました。

それは「勉強の上手さ」という視点です。

 

クラスに一人は「あまり勉強しているように見えないのに、テストとなると良い点を取ってくる人」がいます。

その人は

・わかりやすい説明も必要とせず

・先生に個別カリキュラムを組んでもらう必要もなく

・やる気はないように見えて

それでも良い点を取ってきます。

 

これまでの受験業界、そして教育業界ではこういった生徒は

「天才」とか「センスが良い」という言葉で片付けられてきました。

誰も

 

「なぜ彼らは短い学習時間であんなに効果を上げられるのか」

 

を説明できていなかったのです。

しかし、彼らがやっていることは魔法ではなく手品です。つまり、タネも仕掛けもあるのです。ウチではこれを「学習技術」と呼んで研究し、生徒たちに提供しています。つまり

 

「生徒たちが勉強ができるようになるには、上手に勉強する方法を教えた上で、生徒たちが自分で勉強すればいいんじゃないか?」

→「上手な勉強の仕方を追求しよう!」

 

ということです。この技術は主に認知心理学(人の記憶や理解を研究する学問)をベースにしています。こう書くこと何だか大層なようですが、全然フツーのことです。

 

「天才」「センスがある」「要領がいい」などと言われる人が、ごくごく当たり前にやっていて、当たり前すぎて本人はみんなやってると思っているレベルのことを丁寧に言語化しているだけです。

 

8.なぜやる気を引き出すノウハウは見つからないのか?

僕はこの「学習技術」という観点が、これからの教育の世界では絶対に必要だと思っています。その理由はたくさんあるのですが、ここでは塾業界の歩みを見てきた流れに合わせて1つだけ説明します。

 

ここまでに繰り返し述べてきていますが、

「生徒のやる気を引き出すにはどうしたらいいのか?」

に関して有効なノウハウは発見されていません。

 

生徒のメンタル面やコミュニケーションを重視する先生は

「生徒にどんな声掛けをしてあげたらいいか」

をよく議論しておられます。

 

確かに「声掛け」は重要です。ウチでも色々と試行錯誤をし、研究を重ねている分野でもあります。しかし同時に「声掛け」には限界があるのです。

 

例えば数学を勉強し始めて早々に、上手くいかずに挫折しかけている生徒に対して

 

「やり始めたばっかりなんだから、最初はそんなもんだよ!ここからできるようになっていくから大丈夫だよ!」

 

は定番の声掛けなのですが、この生徒が学習早々に躓きかけていることには理由があるハズなのです。それを解決しないまま、声掛けによってモチベーションだけを補充したところで、近い将来必ずまた躓きます。

 

もちろんその度に声掛けをするのでしょうが、この状況を何度も繰り返すと生徒としては最初は励みになった先生の声掛けが空疎な建前にしか聞こえなくなってしまいます。

 

生徒のモチベーションは

・成長を感じられなくなったとき

に下がります。そしてこの現象の根本原因を解決できない限り、どれだけ声掛けを続けても同じ現象のループにしかならず、最終的に声掛けは効果を失ってしまいます。

 

僕の指導経験上、どんな生徒であれ「その生徒が自前で持っている理解力の限界」が存在しています。簡単な計算などの「慣れれば終了」という内容なら確かに声掛けでモチベーションを注ぎ足し続ければ突破は可能なのですが、内容が難しくなっていくにつれて、どこかで「理解力の壁」にぶつかることになります。

 

そしてこの「理解力の壁」は声掛けだけでは突破できません。なぜ目の前の生徒はこの内容を理解できないのかを突き止め「理解力を上げるための学習の仕方」を身につけてもらう必要があります。

 

このように「生徒のやる気を引き出す」ためには「学習技術」が必要不可欠なのです。そもそも学習技術が高く、勉強が上手な生徒は、志望校に受かりたいなどの動機さえちゃんとあれば、ほとんどモチベーションを落とすことなく学習を続けることができます。やる気を引き出す必要があるのは勉強をスタートする最初の瞬間だけです。

 

これまでは「学習技術」という視点なしに、生徒のやる気にスポットライトを当てていたために有効なノウハウが得られなかったのだと僕は思っています。

 

結局生徒のやる気を引き出す(あるいは持続させる)ためには「自分は前より成長しているぞ!」という感覚が不可欠なのです。

 

しかし無慈悲なことに「ただ頑張っているだけ」で成長できるのは初学者のうちだけです。中級レベル以上からはどうしても「上手に学習する」ということが必要になるのです。

 

9.目利きの必要性(これからの指導の在り方)

さて、これまで出てきた4つの視点をもとに、これからの指導を考えてみます。

「どう教えたらいいか」

→これはタブレットなどの電子端末が主に担っていきます。既にYoutubeなども含めて非常に多くの映像授業がタダ同然で手に入るようになっており、しかも5分~10分程度で細かく細分化されているために、使い勝手も抜群です。ブログなどで発信されている情報もわかりやすいモノがたくさんあって、学ぶ素材は潤沢です。

 

「何を教えたらいいか」

→これはAIが担っていくでしょう。既にatama+というサービスも登場しています。生徒がどの問題をどう間違えたかを1問単位でデータ化し、分析することでその生徒が次に学習するべき問題を提示するというサービスです。生徒の情報を細部まで把握して、その膨大な情報に基づいて最適解を見つけ出すというのは完全にAIの得意分野です。

 

そして残りの

「どうやる気を引き出すか」

「上手な勉強の仕方とは」

の部分を生身の人間が担うことになるでしょう。「先生」と呼ばれる人間の仕事はこのあたりになってくるハズです。

 

つまり先生には生徒の学習の様子を観察し、分析するという「目利きの力」が必要になってきます。これは常に勉強をし続けている先生しか持ちようのない力です。

 

「学ばない人間は、教えるべきじゃない」

 

これからは「学ぶ先生」と「学ばない先生」の差が公教育でも民間教育でも顕著に表れてくることになるでしょう。

 

 

10.補足(カリスマ講師のすごさ)

最後に少しだけ、カリスマ講師について語らせて下さい。

ここまでの書き方では「カリスマ講師は時代遅れだ」みたいな表現になってしまいましたが、それは本意ではありません。僕は今でこそコーチング型の指導に特化していますが、講師としてのキャリアのスタートはティーチング型の指導で(それしかなかった)多くのカリスマ講師の方々の著書を買ったり、手に入る限りの映像を取り寄せて完コピして技術を磨きました。

なぜなら本当に実力のあるカリスマ講師と呼ばれる人たちの授業を見ると

・どう教えたらいいか

・何を教えたらいいか

・生徒のやる気をどう引き出すか

・生徒はどう勉強すればいいか

の4つの視点を全て押さえているからです。

 

大学受験業界で言えば東進ハイスクールの安河内哲也先生がその代表格でしょう。

まず授業がわかりやすい。語る内容から語り方まで研究が行き届いた、考え抜かれた授業です。また、安河内先生は「必ず英語はできるようになる!」と熱いメッセージをよく発信されます。さらに音読を強く推奨したり、授業内で「英語はこういうふうに勉強しなさい」ということも指導されています。英語の学習法に関する本を多く執筆されています。

 

このような授業を受けると生徒としては

「英語わからないなー。苦手だなー。」

「この授業はわかるぞ!」

「自分も英語ができるようになるかもしれない!」

「先生が言ってた勉強法を試してみよう!」

という流れで、結局生徒が自学できる状態に繋がっていきます。

 

映像授業の台頭により、このようなティーチング型の講師の競争倍率は尋常じゃないことになっています。その中で結果を出し続けてきたトップ講師の方々の授業は、本当に細部に至るまで工夫が凝らされたものになっています。

 

教育の姿が新しくなってくる時代になっても、映像授業の作り手としてはこのような力は今後も必要とされ続けるでしょう。