当会の仕事は生徒が学力をつけるお手伝いをすることです。

(「学力をつける」の主語はあくまで生徒であって、塾でも講師でもありません。)

一昔前まで、そのための介入の仕方は「教える」が基本だと考えられてきました。
しかし、当会では生徒が「学ぶ」を基盤に据えて指導を考えています。

生徒が「学ぶ」のであれば、そこに「教える」はなくていい。
(あってもいい。)
ということです。

「教えていないのに、学ぶ」

を不思議に思う人もいるかもしれません。

教えてはいけないケース

「教える」が効果を発揮しない。
むしろ「教える」をしない方がいいケースを考えてみます。

最近は小6生が中1の予習をしています。
中には英単語を学習している生徒も。

最初に英単語を覚える時は、ローマ字とのつづりの違いに戸惑うこともあります。

bagは「バッグ」と読む。

グはguじゃなかったの??

と混乱しつつ、

「英語ではgだけでグと読むんだよ」

と教わります。これによってその生徒の知識量は確かに増えます。

しかしここから

「じゃあbigはビッグと読むのかな?」

推測できるのは、また別の力です。

これは、知識を自分の意志で使おうとする姿勢、全てを「教わる」のではなく、教わったことを使って未知の問題を自力で解決しようとする姿勢によって育まれるものです。

もしこの姿勢と力を身につけたいなら「教わる」は不適です。

「教わってない問題を、自力で考える」
「わからないなりに、推測する」

こういう学習デザインをしなければいけません。

指導者としての関わり方も繊細になります。

「gはなんと読むんだった?」

なんて、ヒントに見えますがほぼ答えです。
これは教えているに等しいので、あまり指導効果は期待できません。

「さっきbagは何と読んだ?」

これなら少しだけ考える余地が広くなりました。
bagとbigの共通点であるgに目をつけるのは生徒のタスクになったからです。

「もう知っている知識だけで読めるよ?」

こうなると、より考える必要が出てきます。
「もう知っている知識」がbagのことであると特定するところから生徒のタスクになりました。

こうやって、問いかけによる生徒の思考量を調整しながら、生徒が自分で知識を使うことをサポートするのがコーチングという手法です。

これはマニュアル化するのが非常に難しい手法なので、僕自身も日々試行錯誤です。
「こういう問いかけが良いんじゃないか?」
という原則みたいなものが見つかったと思ったら、翌日にそれが通用しなかったり。

本当に奥深い分野だなと日々痛感しています。