今回は「教訓帰納」という言葉のお話です。
教訓帰納とは
「問題を解いた後に、この問題をやってみたことによって何を学べたのか?」
という教訓を学習者自身が抽出する学習法です。
「学習法」と大袈裟に言いましたが、これは誰でもやってはいます。
問題を解いて間違えた時に解答をみて「ふむふむ」となる。これのことです。
誰でもやってるんですが、その「質」となると大きな差があります。
同じ問題を勉強したとしても、そこから何を学ぶかは千差万別です。
そして教訓帰納が上手い人はひとつの問題を解いたときに
より良い学び(=教訓)を引き出せているということです。
今回は勉強が上手い人が教訓帰納をする時に何を考えているのかを紐解いていきます。
学びは「課題」と「自分」の間にある
勉強が下手な人にありがちな誤解があります。
それは
勉強すること=解法を覚える(理解する)こと
だと捉えているということです。
それぞれの問題には「解法」があり、それを学ぶことが勉強だという学習観です。
そういう人はまず解法を学ぼうとします。
(多くの場合、教わろうとします)
そして教わった解法を忠実に真似し、復習し、定着させようとします。
ある意味でマジメな学習観です。
でもこれは無駄が多く、何より本質的ではありません。
「何が悪いの?」
と思う人もいるかもしれません。
何が悪いかと言うと、そこに「自分」という要素が入っていないことです。
学習というのは自分を高める行為です。
自分に足りないものを補充したり、感覚を磨いたり、思考の方向性を修正したりするのが勉強の本質です。
課題が持っている要素を全て学ぶ必要はありません。
課題が持っている要素の中で、自分が持っていない要素だけを学べば良いのです。
学ぶべきことは課題の性質のみで決まるのではなく、あくまで課題と学習者の関係の中でしか決まらないということです。
自然に解く
そのためには、まず問題を解いている時の姿勢が大事になります。
問題を解くときはまず、自分なりの感覚・考えで解いてみましょう。
これは習ったことがない問題であってもです。
逆に良くないのは
・習った通りにやろうとする
・先生はどうやってたっけ?と記憶を遡って解こうとする
ことです。
これは他人のやり方で考えているということです。
感覚的ですが、これだと借り物感があるというか、その人自身のものではない感じがあります。不自然です。
そうではなくて
「今まで勉強してきたことからすると、こんな感じかな?」
「フツーに考えてこうじゃない?」
みたいに、自分由来で何かを考えるクセをつけて下さい。
問題を解くと言う行為は、自分を試す行為です。
これまで培ってきた自分の知識・思考・感覚・感性を試すということです。
ここで「自分」を表現することで、後から自分に何が足りなかったのかがはっきりわかるのです。
誰かの考えを持ってきて正解することは簡単です。
でも、それでは応用なんてできないし、そもそも「自分を鍛える」ことになっていないのです。
だって自分を表現していないのですから。
するといつまで経っても自力はつかず、場当たり的に他人の考えをコピペして対処することしかできないままになってしまいます。
(このクセ、仕事になった時にマジで困りますよ)
間違っても構わないので、自分の力で、フツーに考えて問題にあたってください。
僕は「自然に考える」と呼んでいますが、思考が自然な人の成績は上がります。
借り物思考の人は勉強も仕事も成長がめちゃくちゃ遅くなってしまいます。
はっきり解く
これも「自然に解く」に近い考え方ですが、問題に答えるときにはちゃんと根拠を持つようにしましょう。なんとなくはダメです。
例えば三単現のsのつけ方。
これは最初に
「語尾にsをつけましょう」
と習います。
だからstudyをstudysと答えた。
これは良い間違え方です。
「三単現は語尾にs」
という自分の中のルールを根拠に答えているからです。
これで間違えたとしても
「そうか。いつもsをつければいいワケじゃないのか。じゃあ他にどんなルールがあるんだろう?」
という学びになります。
数学でなんとなく式変形をする
英語をなんとなく並べてみる
これをやって僕に
「自分でもなぜそれをしたか説明できないことをしてはいけない」
「自分がすでに知っているルールに違反することはしてはいけない」
などの指摘をされた生徒は多いと思います。
人はわからなくなると混乱して自分でもワケのわからないことをしてしまいます。
これは無理に正解しようとするからです。
何でも良いから(理解できてなくて良いから)正解さえすれば良いという考え方ではこういう良くない間違え方をしてしまいます。
勉強は正解を狙う必要なんてありません。
上述の通り、自分を表現すれば良いのです。
自分のレベルが十分なところに達していれば自然と正解するし、自分のレベルが不十分なら不正解ですが学びになります。それで良いのです。
「本番」を想像してみる
もうひとつ、陥りがちな間違いとして
「結果論的な学びをしてしまう」
というものがあります。
例えば
I went to the library ( ) study.
この問題がわからなかった人がいるとします。
答えを見ます。
すると
答え:to
と書いてあります。
解説も読んでみます。
to + 動詞の原形で「〜するために」
本問は「勉強するために図書館に行った」
という意味。
と書かれています。
この生徒に
「この問題は習得できた?」
と質問してみましょう。
すると
「はい。toを入れると「〜するために」という意味になって、この文は「勉強するために」という意味になるからtoが正解です」
と答えます。
これが結果論的な学び。
これでは何の勉強にもなっていません。
何が悪いかわかるでしょうか?
「結果論」を検索すると
『事が起きたあとで、そのわかっている結果を前提としてあれこれ論ずる無意味な議論』
とあります。
この生徒の
「toを入れると〜〜〜という意味になる」
という説明。
これは「toが答えである」ということを知っているから言えることです。
でも問題は
I went to the library ( ) study.
です。
どこにもtoの文字はなく、むしろそれを自分で導けるかを問うています。
上のような状態の生徒は、依然としてその力は身につけられていないままです。
(すぐに解き直せば答えを覚えているので正解できます。それのことを復習と呼んでしまう人もいます。でも問題の設定が変わると当然不正解になります。これが応用力がないの正体だったりします)
こういう生徒は
「答えを知っているから正解できている状態」
と
「答えを導くためのプロセスと、それに必要な知識を持っているから正解できている状態」
の区別がついていないのです。
これは周囲から結果ばかり要求されてきた生徒に起こりがちなことで(とにかく正解さえすれば良い。点数さえ取れれば良いという思考になりやすいから)、それ自体はその生徒のせいではないので可哀想なところなのですが、この状態では勉強ができるようにならないのは明白です。
これを避けるためには
「本番で解けるかな?」
と想像してみることです。
試験本番まで日があります。
試験では単語や文脈が異なるかもしれません。
それでも解けるか?
それを想像してみることです。
「無理だ」
と思うなら学び方が間違っています。
最初はここまでいってくれれば構いません。
「今は答えを知っているから正解できるだけだ。ちゃんとしたプロセスを自分は習得できていない」
という判断さえできれば、あとは何とでもなります。
塾にいるならもちろん僕に質問してくれても良いです。
ただ今はスマホを使えばネットにいくらでも解説は落ちています。
(できるだけ自己解決できる手段を身につけておくのが良いでしょう)
結果論的な学びにならないように
「本番でできるか?」
を常に想像するようにしましょう。
学びの質を深める
実はここまでは勉強が上手い人なら無意識に、当たり前にやっていることです。
「何を偉そうに当たり前のことを語ってるの?」
って怒られるレベルです。
ということで、もう少し深掘りましょう。
ここからは
「より良い学び」
を目指すための方法です。
大学受験生とかならこの辺まで意識できて欲しいですね。
ひとつの問題を解く方法はいろいろあります。
数学の問題なら、その問題の解法を覚えていれば確かに解くことができます。
しかし、解法を覚えていなくても定理や公式を深く理解していれば、自分で解法を作り出すこともできます。
また、そもそも定理や公式レベルの知識すら必要なく、問題文にある情報から論理的に考えていけば答えることが出来る問題もあります。
これらは順に
①知識で解く
②理解で解く
③思考で解く
と言い換えることもできます。
①よりも②や③を目指す方が本質的な勉強になります。
最近の入試は特に「知識量」よりも「理解力・思考力・応用力」を問うカタチになってきているので、そこに合わせるためにも意識すべきポイントです。
勉強のセンスがある人ほど
解説を見て
「この問題はいけたー!!!泣」
と悔しがっています。
これは
「この問題は自分が持っているものを上手く組み合わて考えれば解くことができた」
という意味です。
(つまり、理解や思考で解くことができた)
解説を読んでこの感想がでるようになるかがひとつのバロメーター。
間違っても解説を読んで
「なるほど。この問題はこうやって解くのか!よし、頑張って覚えよう!」
なんてしてはいけません。
「これを知ってないとできないの??」
「どうにか考えて解けないの??」
という目で解説を見ることです。
(批判的思考と呼ばれることもあります)
これは先に述べた「自然に解く」にも繋がるところで、勉強というのはあくまで自分の考えを試し、それを解説と照らし合わせながらレベルアップさせていくのが本筋です。
習う→習った通りに実行する
という学習観の生徒の成績が上がりにくいのはこのあたりに理由があったりします。
まとめ
長々書いてきたのでまとめです。
勉強するときはまず
【解くとき】
「習ったことがある」「知っている」に依存せず
自分の考えを試す
という感覚を持って自然に思考して解きます。
その時に
「こういう理由でこの答えにした」
ということがしっかり言語化できる状態を目指しましょう。
【解説を読むとき】
解説に書かれていることを唯一絶対の解だと見なすのではなく
「自分がこの問題を本番で解くためには何をインプットするのがベストか?」
という視点を持ち続けましょう。
その時に知識・理解・思考という3観点で分析ができると便利です。
知識よりも理解で、理解よりも思考で解ける方法を模索するクセをつけましょう。
今回は「教訓帰納」というテーマを取り上げました。
「解説をみて、学ぶ」
という学習のワンシーンだけでも勉強が上手い人はものすごくたくさんのことを考えていることがわかると思います。
「そんだけ考えてたら、そりゃ、賢くなるわ」
と思いませんか?
勉強は体積(量)×密度(質)です。
密度を高めるには、自己との対話です。
まずは教訓帰納の質を高めるところからチャレンジしてみましょう。