僕は日頃から
「上級者の勉強法を安易にカタチだけ真似するのは辞めた方がいいよ」
と言っています。

勉強法というのは、それ自体に価値があるワケではなくて、その勉強法をすることによって正しい頭の働かせ方になるから良いのです。

例えば一口に「腕立て伏せ」と言っても腕を開く幅によってどの筋肉に効くかが違います。
自分が狙った通りの筋肉に効いているなら、その腕立て伏せは「良い腕立て伏せ」ですし、全然違う筋肉に効いてしまうなら「悪い腕立て伏せ」です。
そもそも足の筋肉をつけたいなら絶対に腕立て伏せではないでしょう。

つまり、あるやり方が「良い」かどうかは、目的に対して効き目を持っているかで決まることだということです。

このあたりが多くの受験生が間違ってしまうところなんですが、今回はわかりやすい学習事例を紹介します。

こちらです。
高校数学の確率を勉強しています。

注目してもらいたいのは、赤マーカーで囲んだ部分。

問題文を写しています。

これは本来、やらなくて良いことです。

ほとんどの生徒は問題文を写す時には何も考えていないからです。
だから僕は、問題文を写している生徒がいたら

「なんで問題文書いてるの?」

と質問して、合理的な理由が返ってこない限りは辞めることを推奨しています。

ただ、この写真の生徒は違います。

「なんで問題文書いてるの?」

という僕の質問に対して

「アタマの中が整理されるから」

と即答。

確かにこの生徒は問題文の読み落としで失点してしまったり、問題文の情報が頭の中で整理されていなかったせいで解法が発想できなかったりということがよくありました。
(ほとんどの生徒にあるんですが…)

そういった課題に対する自分なりの工夫として
「問題文を写す」
ことで、強制的に問題文と向き合う時間をつくってみたところ、それが好感触だったから採用したのでしょう。

だからこの生徒の場合は問題文を写している最中には、書かれている情報を一生懸命理解し、整理しよう頭をフル回転させているはずです。

この時には
「問題文を写す」
良い勉強法です。

ですが、だからといって
「問題文を写すことは良い勉強法だ」
とはなりません。

おそらく、これを強要された生徒は
「言われたから」
という理由だけで問題文を写し、その時にはほとんど何も考えずに作業としての写しをすると思います。

それでは意味がないのです。

今回の「問題文を写す」という勉強法は

・生徒自身が自分の課題と向き合って
・生徒自身が工夫として生み出し
・生徒自身が課題解決法として良い感触を得た

から良い学習法なのです。
つまり、この生徒限定で良い学習法なだけで、形だけ真似してみても何の意味もない方法の典型です。

勉強に必要なのは

・主体性
・試行錯誤する力
・メタ認知能力(自分の頭の中を把握し、頭を上手に使う工夫をすること)

です。
このノートは、その3つの力の表れです。
(その点でこの生徒は本当に自立して勉強する力がついたと思います)

学習者の皆さんは安易に上級者の学習を真似する前に、この3つの力を意識して下さいね!