心が勉強を左右している
「社会は暗記科目だ」
「数学はセンスだ」
「成績は量をこなせば上がる」
これらの思い込みが、あなたの学力向上を妨げているとしたら、どう思いますか?
「え?そんなの気持ちの問題でしょ?」
「関係ないじゃん」
そう感じるかもしれません。
でも、関係あるんです。
むしろ、めちゃくちゃ影響します。
あなたの勉強を妨げているのは、あなたの「心」かもしれない。
今回はそういうお話です。
「心」といっても、今回お話しするのは
「勉強とはどういうものだと思っているか?」
ということです。
これを「学習観」と言います。
どうすれば成績が上がる?
学習観とは何なのか?
成績にどう影響しているのか?
それらを知るために、
まずは試しにあなたの学習観をチェックしてみましょう。
「やった分だけ、できるようになる」
くり返し書く。何周もする。時間を長くとる。伸びないときの答えが、いつも「まだ足りない」になる。
「同じ一時間でも、中身しだいで変わる」
意味とむすびつけて覚える。まとめ直す。思い出せるか確かめる。効かなければ別の切り口をためす。
「合う先生や教材に出会えるかどうか」
教わった工夫は、そのまま使える。ただし自分の勉強に主導権は持たない。
これは最もシンプルな
「あなたはどのように勉強すれば,効果的だと考えていますか?」
という問いへの反応です。
「やった分だけ、できるようになる」
と思っている学習量志向の人。
「同じ一時間でも、中身しだいで変わる」
と思っている方略志向の人。
「良い先生や教材に出会えるかどうか」
と思っている環境志向の人。
皆さんもどれかは
「自分だ!」
と思うのではないでしょうか?
このように
「勉強とはどういうものだと思っているか?」
「何が勉強に効果があると思っているか?」
という個人の考えのことを学習観と言います。
ちなみに、ここでの「環境志向」というのは、
塾なり教材なりといった「効果的な学習環境」というものが、学習者の外側に存在していて、そのような良い学習環境に身を置くことで、勉強はいつの間にか身についてくる
という考え方です。
では、これらの学習観の違いは学力にどのように影響するでしょうか?
上の3タイプを引用した研究の中でも、勉強に対する影響が示されているので、簡単に説明します。
研究で示されているのは
- 学習量志向の人は精緻化方略・モニタリング方略をあまり使わない傾向がある
- 環境志向の人はモニタリング方略をあまり使わない傾向がある
ということです。
精緻化方略とは
意味を理解しようとしたり、自分の経験や既に知っていることに結びつけて勉強すること。
簡単に言えば「考える」とか「勉強を工夫する」とか、そういう感じの意味です。
モニタリング方略とは
学習中に、「どれくらい理解できたか」「計画通りに進んでいるか」を自分で確認・評価すること。
こちらも簡単に言えば「勉強を自己管理しようとする姿勢」だと思ってください。
※「方略」という言葉も聞きなれないと思いますが、皆さんが「勉強法」とか「学習法」とか呼んでいるものだと思ってください。
精緻化・モニタリングともに成績に非常に大きく影響することも多くの研究で示されています。
つまり、こういうこと。
よく使う傾向あまり使わない傾向
ここから僕の経験をもとにもう少し詳しく説明します。
まず、学習量志向の人。
そもそもたいていの人は幼い時は学習量志向だと思います。
というか、小学生ぐらいだとそれ以外の選択肢を持っていないでしょう。
「どうすれば勉強ができるようになると思う?」
「がんばる」
みたいな感じですよね。
学習量志向はある意味で幼い考え方だと言えるかもしれません。
あと経験的には従順なタイプの性格の生徒に多い気がします。
「大人の言うことには従うものだ」
ということが強くインプットされている人です。
大人はたいてい「方法」を指示します。
「あれをやりなさい。これをやりなさい」と。
それを受け入れることが当たり前だと
「別の方法で同じ効果は出せないものか?」
という思考になりにくいのかもしれません。
そもそも方法を決める自由を与えられていないのだから、考えるメリットがありません。
学習量志向の人は、精緻化方略もモニタリング方略も使いません。
(研究結果は、現場の肌感覚とも一致します)
自分の理解状態は大人が測る。
大人がそれを分析し、自分に方法を指示する。
自分にとっての変数は「量」しかないという状態です。
環境志向の人は、もう少し大人かもしれません。
生徒たちは学年が上がるにつれて、「量」では説明できないシーンを数々見ることになります。
明らかに勉強時間が少ないのに、自分より高い点数を取る人がいる。
ということです。
どうやら「量」とは別に「質」というものがあるらしい、と気づき始めます。
ただし
「それは大人(外)から与えられるものだ」
という考え方は学習量志向と同じです。
だから自己分析や自己管理の大切さには気づきません。
学校・塾・先生・インフルエンサー・教材…etc
自分を良くしてくれる何かを常に外側に探し続ける。
ある意味で他力本願な考え方とも言えます。
その結果、勉強の工夫を集めることには熱心で、人から教わった勉強の工夫はしますが、自分で生み出すことはないし、モニタリングすることもありません。
方略志向がもっとも自立した考え方だと思います。
自分の勉強の管理者は自分であり、成否は自分次第だということを受け入れられています。
現場にいて、このタイプの生徒が他と決定的に違うのは
自分の感覚を基準にしている
という点です。
自分の理解の状態や、勉強の進み方、勉強したときの感触などをよく感じ取れています。
だからこそ、
それを元に自分にとって一番良い方法を模索する姿勢があります。
言い換えれば
正解も、良い方法も、自分の中にある
と思えている状態です。
正解を外に求めた環境志向の人との違いがここにあります。
研究でも精緻化方略とモニタリング方略の両方を使うと報告されていますが、
勉強を自己管理しながら、やり方を工夫してみて、感触が良いものや成果が出た方法だけを残していく。
そういう取り組み方ができる生徒が多いです。
このように、学習観は方略を通して成績に影響します。
ウチではよくこの図解を用いていますが、基盤には学習観をはじめとした「心」があります。
学習観以外にも大事な要素があるので、大きくまとめて「捉え方」と示していますが、ほとんど学習観で決まると思ってもらって大丈夫です。
学習観はいろいろある
学習量志向・方略志向・環境志向
この3つのタイプは学習観の一部にすぎません。
他にもどういう要素があるか見てみましょう。
学力をつけるのに不向きな考え方伸びしろを感じる考え方
何をもって
「わかった」とするか
問題に正解したら、わかったことにする。
自分の中で納得できたら。すでに知っていることと、むすびついた状態。
勉強とは
何をすることか
教わったとおりに実行すること。勉強の進め方も、正解の指示をもらいたい。
自分なりの考えを出して、直していくこと。
「わからない」は
何のサインか
力が足りない証拠。できるだけ避けたい、隠したい。
下ごしらえであり、学習が進んでいる合図。
正しさは
どこで確かめるか
外がわで確かめる。先生や解答が言うことが正しい。
自分の中で確かめる。筋が通っているかを見る。
これらは正確には学習観ではなく「その関連概念」と言うべきものですが、ここでは広い意味で学習観だと思ってもらって大丈夫です。
「え?これが普通じゃないの?」
と思った人も多いかもしれません。
学習観とはそれぐらい自分にとっては当たり前すぎて、人との違いに気づきにくいものです。
例えば指導の中でも
「この問題、解き方忘れちゃった」
「この問題、習ったことないから教えて下さい」
こういうセリフをすごく自然に言う人がいますが、
これは学習理論で言えばすごく不自然で、不安になるセリフです。
解き方は自分で考えるのではなく、教わって、それを覚えるものだ
という学習観の表れに見えるからです。
学習観は勉強のいろんな場面で、本人には自覚なく、様々な言動に影響しています。
なぜ学習観は無視されがちなのか?
では、学習観を変えていくにはどうすればいいか?
という話になるんですが、その前に
なぜ学習観は無視されがちなのか?
を考えてみたいと思います。
これほどまでに重要な「学習観」なんですが、学校でも塾でも話題にされることはほとんどありません。
それはなぜなのか?
を先に考えてみましょう。
理由がわかってこそ、対策が立てられます。
自覚しにくい
そもそも学習観は自覚しにくいものです。
学習観なんて概念自体を普通は知らないし
「あれ?俺とあいつって、勉強の捉え方が違うかも…?」
なんて気づくことはまずありません。
日々の生活の中で自然に獲得する知識や考え方のことを素朴理論といいますが、学習観も素朴理論と言えます。
これは大人(親や指導者)も同じで、自分に「学習観」なんてものがあったことすら知りません。
子どもとそれがズレていたり、自分の学習観が偏っている可能性にも思い至りません。
成功体験で補強されている
たいていの学習観は、成功体験に紐づいています。
「成功体験」と書くとポジティブな感じがしますが、必ずしもプラスに働くとは限りません。
例えば勉強のレベルが易しい環境(学年が低かったり、内容が易しかったり)ではたくさん勉強するほど高い成果が出やすいので
「たくさん勉強したから、学力がついた」
と、学習量志向になりやすくなります。
しかし、その考え方はレベルが上がるにつれて通用しなくなります。
精緻化方略やモニタリング方略の重要性が増してくるからです。
でも、当の本人はそれに気づきません。
「まだ量が足りないんだ」
と感じるだけです。
ウチには長田・兵庫・夢野・星陵あたりの生徒がよく通ってくれますが、このパターンはすごく多いです。
真面目で優秀だった彼ら・彼女らは小中学校時代の成功体験がそれだけ強固だからです。
また、ここには親御さんの成功体験も深く関わります。
記憶が古くなればなるほど、人は
頑張った記憶と、助けてもらった記憶だけが強く残ります。
「自分はあれだけ頑張った」
「あの先生の授業がすごくわかりやすかった」
「塾でたくさん宿題が出たことが良かった」
みたいな記憶です。
一方で、自分がした些細な工夫や試行錯誤、意思決定は忘れ去られていきます。
その結果「学習量志向」や「環境志向」の学習観が形成されやすくなります。
その状態で子どもと接すると、言動の端々に学習観の影響が出て、子どもの学習観もそれに寄っていきます。
回りくどく感じる
もっとシンプルに、学習観なんて回りくどい、というのも理由の一つです。
多くの人が、勉強につまづいたとき
「誰かにわかりやすく解き方を教えてもらえば、できるようになるだろう」
と考えがちです。
そこで
「あなたは勉強ってどういうものだと思ってますか?」
なんて聞かれたら
「そういうのいいから早く教えてくれよ!」
「何をすればいいのか指示をくれよ!」
という気持ちになるのもわかります。
指導者の責任感
指導者が生徒を想う気持ちが、裏目に出てしまうこともあります。
「指導者の行為によって、生徒の問題を解決する」
という考え方そのものが、環境志向とも言えるからです。
これを責任感と言えば聞こえは良いですが、
正直なところ、指導者という仕事にはちょっと育成ゲーム的な面白さがあることも事実です。
「どういうトレーニングをするの伸びるのかを、分析・設計する」
というのは、好きな人には好きなものです。
大学受験生の中にも
「計画を立てているときは楽しんですけど、実行するのがダルいんですよねー」
って言う人がいます。
計画倒れになりがちな人で、実は僕もそのタイプでした。
そういう人が大学で塾バイトをやりがちです。
(人によってはそのまま就職します)
塾バイトでは、一番楽しい計画の部分だけを自分がやって、実行は生徒がやってくれます。
それが仕事と認められ、感謝され、お金を貰えます。
こんな都合の良い話はありません。
だからこそ、ちょっと自己陶酔的になってしまう人もいます。
「自分が生徒を受からせるんだ!」
「自分が合格までの道筋を考えるんだ!」
みたいな感じです。
この思想が生徒を環境志向に寄せてしまい、モニタリング方略(自分で勉強を管理する能力)を奪っていくことにも繋がりかねないんですが、一般的にはこれは
責任感があり、熱心で生徒想いな良い姿勢
として捉えられます。
こんなふうに、良い姿勢として(あるいは、サービスそのものとして)パッケージされてしまうことも、学習観に目が向かなくなる一因かもしれません。
学習観を変えるには?
最後に、学習観を変えるにはどうすればいいかを考えてみましょう。
学習観は価値観に近いものなので、そう簡単には変わらないと感じるかもしれません。
実際にその通りです。
その通りなんですが、ウチにはHPの生徒の声やインタビューを見て頂いたらわかる通り、学習観の変容がおこった生徒もたくさんいます。
研究によると
まず、論文で示されている学習観の変容はだいたい以下のパターンです。
方略を
教える
成果を
実感する
学習観が
変わる
他教科へ
広がる
説得によって学習観が変わることはほとんどありません。
それは先ほど説明した通り、学習観は多くの場合、成功体験に結びついているからです。
これを変えるには、別の成功体験が必要です。
まずは精緻化方略やモニタリング方略を教わるということ。
そして、半信半疑でもそれを試してみて、成果を実感する。
(点数が上がったり、勉強の感触が良くなったり)
それによって学習観が変わる、という流れです。
ウチが「学習法の専門塾」を名乗っているのは、
単に
「勉強のやり方教えまっせ」
ってことではなく
「やり方よりも心の方が大事だが、心にアプローチするにも、方法から入るしかないから」
という意味です。
ちなみに、僕の経験的に学習観が変わるというのは
「あ、やり方次第でこんなに変わるんだ」
という「希望」のこともあれば
「結局は自分が頑張るしかないんだ」
という「覚悟」の場合もあります。
数字ではない成果を見る
最後のさいごに、少し考えてみて欲しいことがあります。
ここまでの説明では
・勉強の成果には、学習観が強く影響する
・学習観を変えるには、成果が必要
という話で、これだと
「鶏が先か、卵が先か」
みたいな話になってしまいます。
特に勉強が上手くいかなくて、その原因が学習観にある場合、いきなり成果は出ないでしょう。
学校だって進み続けるし、周りの生徒も努力を続けるからです。
でも、成果が出ないとなると、学習観も変わらないから困ります。
だからこそ、数字ではない成果を見ることが大事になります。
数字上の成果しか成果と見なせないなら、確かに変わっていくことは困難です。
でも数字よりももっと手前の、
学習シーンそのものなら、いくらでも変えていくことができます。
「勉強の感触が変わった」
「勉強しているときの頭の使い方が変わった」
「勉強に取り組む姿勢が変わった」
こういった数値に表れない成果を、ちゃんと成果として捉えることが大事です。
テストの点数や大人たちの評価は、2番目です。
1番は、あくまで自分の感情や感覚。
そこを勘違いしないように、勉強してほしいと思います。
まとめ
また長文になってしまいましたが、いかがでしたか?
自分でも書いていて
「こんな面倒な話するのはウチぐらいだろうな」
と少し呆れてました。
でもウチは「学習法の専門塾」として本当のことを知ってほしいと思っています。
教えることやカリキュラムで解決するような話じゃなく、
勉強ってもっと複雑で、深い話なんだということを隠さず主張して、
ちゃんと根元のところから生徒たちに関わっていきたいと思っています。
一番の根元が今回の学習観(をはじめとしたマインドの部分)です。
これをきっかけに、改めて自分の心と向き合ってみて下さいね。
01
学習観とは何か?
「勉強とはどういうものだと思っているか」ということです。自分にとっては当たり前すぎて、人との違いに気づきにくいものです。
02
三つの志向
学習量志向は、自分にとっての変数が「量」しかない状態です。環境志向は「質」に気づきますが、それを外に探し続けます。方略志向は、正解も、良い方法も、自分の中にあると思えている状態です。
03
どう成績に影響するか
学習観は方略を通して成績に影響します。精緻化方略とモニタリング方略を使うかどうかが、学習観で決まるからです。
04
なぜ無視されがちなのか?
自覚しにくいからです。そして、たいていの学習観は成功体験に紐づいています。その考え方はレベルが上がるにつれて通用しなくなりますが、本人はそれに気づきません。
05
学習観を変えるには?
説得によって学習観が変わることは、ほとんどありません。これを変えるには、別の成功体験が必要です。半信半疑でも試してみて、成果を実感する。それによって学習観が変わります。
06
数字ではない成果を見る
勉強の感触が変わった。頭の使い方が変わった。姿勢が変わった。こういった数値に表れない成果を、ちゃんと成果として捉えることが大事です。
