いきなりですが、次の問題を解いてみて下さい。
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
この文脈において、「Alexandraの愛称は( )である」の空欄に当てはまる最も適当なものを、次の中から一つ選びなさい。
新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)より
どうでしたか?
楽勝ですか?
楽勝ですよね?
この問題は新井紀子さんの『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』という本に出てくる有名な問題です。
あまりに有名になりすぎて「アレクサンドラ構文」という名で呼ばれています。
答えは①なんですが、ほとんどの大人にとっては当たり前すぎてなんでこんな問題を出されているのかわからないぐらいだと思います。
しかし、新井紀子さんの研究によると、中学生・高校生のこの問題への正答率は意外なものです。
新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)全国読解力調査より
公立中学生の平均が38%
進学校の高校生でも65%
です。
一般の方でも
「えっ!?こんなのも読めないの!?」
という驚きはあるでしょうが、ここにはもっと恐ろしい意味と、勉強に対する誤解があります。
勉強が成立していないのではないか?
この問題が表す意味は、
この問題が解けない生徒は、そもそも勉強が成立しないのではないか?
ということです。
勉強は「読む」という行為が基本になります。
教科書を読む
参考書を読む
問題集の解説を読む
文章を読んで理解する力がないのなら、これらの学習は全て成立しないことになってしまいます。
そして、現場にいる体感として、実際に成立していません。
この記事で解説したいのは3つです。
1.「読めない」とはどういうことなのか?
冒頭の文章が読めないというのは、ちょっと信じがたいことです。
これをただ
「読めない」
「読解力がない」
という言葉でくくってしまっては、問題の本質がわからなくなってしまいます。
この文章が読めないってどういうことなのか?
読めない生徒たちの頭の中はどうなっているのか?
を知って頂きたいと思います。
2.「読めない」のはなぜなのか?
「読めない」という現象を紐解いたら、次は原因です。
生徒たちが文章を読めない理由は何なのか?
現場の指導者の感覚から解説します。
3.どうすれば「読める」ようになるのか?
最後は、読めるようになるための対策を提案します。
僕が最近開発した新しい学習ツールもダウンロードできますので、是非試してみて下さい!
1.「読めない」とはどういうことなのか?
さっきから
「こんなものも読めない」
「読解力がない」
なんてかなりヒドいことを言ってますが、もちろん件の生徒たちも日本語が全く読めないわけではありません。
昨日は友達と一緒に電車に乗ってプールに行きました。
こんな文なら問題ないんです。
ただ
気体は、温度が上がると体積が大きくなる。このとき質量は変わらないので、同じ体積あたりの質量は小さくなる。
こうなるとマズい。
この二つの文は何が違うかと言うと、
Aは読むだけで自然に意味が入ってくるのに対して
Bは一見しただけじゃわかりません。
「どういうことか?」を自分なりに考えて、意味を取りにいかなければいけません。
意味を取りに行く
これが今回のポイントで、教科書の文が読めない生徒たちには、意味を取りに行くという姿勢がありません。
読めない人
意味を取りに行く
姿勢がない
この原因はあとで解説するとして、では、意味を取りにいかないなら、何をしているのでしょうか?
冒頭のアレクサンドラ構文に戻ると、誤答した生徒たちの多くは④を選んでいます。
中学生では、④「女性」を選んだ人が正解より多い。たまたま間違えたのではなく、同じ選び方をしている人がそれだけいる、ということです。
ウチの教室でも実験してみると、④を選んだり、④を選びかけたという生徒が何名かいました。
話を聞いてみると
「”Alexandra”という言葉の前に”女性”ってあったから」
とのこと。
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
この文脈において、「Alexandraの愛称は( )である」の空欄に当てはまる最も適当なものを、次の中から一つ選びなさい。
「Alexandra」のすぐそばに「女性」がある。文の意味ではなく、言葉の近さで答えを選んでいる。
つまり、”キーワードっぽい言葉”の近くにある”答えっぽい言葉”を抜いてきているだけ、ということです。
それで意味が通っているか?
なんて考えていません。
こういった生徒たちは、勉強のときにも同じような振る舞いをしています。
例えば、数学の参考書を読むときも、全てに目を通すのではなく
・自分が解きたい問題に近い問題を探す
・自分の問題と数字を対応させて解く
という感じです。
つまり、”それっぽい問題”の”正解っぽい解法”を拾ってきているだけ。
これは英語でも理科でも社会でも同様です。
文章を読んでいないので、ルールや仕組みを理解しているわけではありません。
そうなると、理解の必要ない基礎的な問題しか解けなかったり、ワークのように単元が定まった中でしか解けなかったりします。
2.「読めない」のはなぜなのか?
さて、ここからは“読めない”理由を考えてみましょう。
これは現場の肌感覚として、読めない理由は
やる気
です。
こう書くと身も蓋もないですが。
でも、一番大切で、なのに無視されがちな話です。
本当に読解力がないのか?
教育業界は「読めない」となるとすぐに「読解力」の話をしたがります。
確かに言葉を知らないとか、文のつくりやルールを知らないとか、
そういった要素が読解に影響することはあります。
実際に新井紀子さんが所長を務める「教育のための科学研究所」では、アレクサンドラ構文の問題を分析し
・係り受け
・照応
・同義文
・推論
などと項目を分類してテストできる『リーディングスキルテスト(RST)』を開発されています。
もちろんRSTも新井先生の研究も素晴らしいものです。
ですが、現場の感覚としては、ほとんどの生徒はマインドに問題がある気がします。
心が学力を決めている
ちょっと極端な言い方ですが、僕は心が学力を決めている、と思っています。
これは根性があるとか、打たれ強いみたいな「心の強さ」という意味ではありません。
「勉強とはどういうものか?」という学習観が違うということです。
例えば、僕が指導の中でよくする話があります。
授業での言い方をできるだけ再現して書いてみます。
勉強が苦手という生徒たちは、勉強が得意な生徒たちのことを誤解してることがある。
「昨日は友達と一緒に電車に乗ってプールに行きました」
この文は何も考えなくても読めば自然に意味が入ってくるよね?でも教科書や、ワークの解説は読んでも意味がわからなかったりする。
すると勉強が苦手な生徒たちは、こう誤解する。
「勉強が得意な人たちは、この説明を読んで、”プールの文”みたいに、自然に意味が入ってくるんだろうなぁ」
でも、そんなことはない。
文章を読んで、パッと見で理解できるレベルなんて、実は大差ない。
勉強が得意な人は、自然に意味が入って来なかったぐらいで諦めない。
むしろそこから
「ん?これはどういうことだ?こういうことか?」
と考えて、自分から意味を取りに行くことが勉強だと思ってる。
それが当たり前で、それが勉強の99%だと思ってる。
「自然には意味は入って来ない」
とか
「解説をパッと見ただけでは、ん?何言ってんだ?ってなる」
とか
そういうのは勉強が苦手な人も得意な人も一緒だよ。
これが学習観の差です。
勉強が苦手な人は
「わかる」=「自然に意味が入ってくる」
だと思っていて、
勉強が得意な人は
「わかる」=「考えて意味を取りに行く」
だと思ってる。”勉強ってそういうものだ”っていう、わざわざ教わったり、言語化されたりする前の
大前提としての認識
があります。
これがさっきざっくり言った「心」とか「やる気」ということです。
一応言っておくと、これは
勉強時間を取る
とか
授業を受ける
とか
誰かに解説してもらう
とかとは全く別次元の、頭の中の話です。
感覚的には
「椅子に座ったまま、必死に手を伸ばしてテレビのリモコンを取ろうする」
みたいな感じです。
僕は生活面ではズボラなので、本当に極限まで椅子に座ったままでいようとします。
モノを落としてもできるだけ足で拾おうとするし、
手を伸ばしても届かないなら諦めます。
これが勉強が苦手な生徒の状態です。
だから、こういう生徒に僕が真っ先に指導するのは
立って歩け。自分で取りに行け。
ということです。
その労力を惜しむ僕のような人は、リモコンにすら手は届きません。
でも、立って自分で取りに行くことに躊躇がない人は、
ついでにジュースを注いで戻ってこれます。
勉強も同じです。
どれだけ勉強時間を取ろうとも、
どれだけわかりやすく解説しようとも、
自分で意味を取りに行く姿勢がなければ、
学力なんて積みあがりません。
固定的カリキュラムと、人の顔色を見る生徒たち
ここまで
「自分で意味を取りにいかない」
=「やる気がない」
みたいな書き方になってしまいましたが、そんなことはありません。
これは、仕方のない部分もあります。
学校のカリキュラムは固定的で、生徒がわかっていなくても進めていくしかありません。
そこで勉強についていけなくなった生徒は、いつしか
わからないことが当たり前
になります。
それでも、問題は解かなければいけません。
授業で当てられるし、
宿題は出されるし、
テストはあるからです。
わからないことが当たり前の生徒たちが、それでも正答を出すために編み出す方法があります。
それは
「人を読む」
ということです。
皆さんも子供の時に
「先生の言い方的に、こっちって言って欲しいっぽいな」
って感じたりしてましたよね?
あれです。
勉強している内容の意味がわからない生徒たちは、先生のリアクションが唯一といっていいぐらいの、正誤判断のサインになります。
こうするとますます、意味を取りにいかなくなります。
代わりに
「先生は何と言ったか?」
「先生はどんな顔色をしているか?」
にばかり意識が向いてしまいます。
このように、学校のような固定的カリキュラムについていけなくなった生徒たちは、いわば自己防衛的に「意味を考えない」というクセをつけてしまう可能性もあります。
3.どうすれば「読める」ようになるのか?
最後に、どうすれば読めるようになるのか、
もっと言えば、
どうすれば勉強が成立するようになるのかを考えてみましょう。
といっても、原因で説明した通り、マインドの問題だとすれば
「こうすれば解決する」
みたいな簡単な方法はないと思います。
ただ”少なくとも、こういうアプローチは必要ではないか”ということを書いていきます。
学習観を伝える
大前提としてやりたいのはここです。
「自分で立って歩く。意味を取りに行く」
これが勉強における当たり前だという認識に変わること。
間接的なアプローチも色々ありますが、まずはストレートにこれを伝えるべきかなと思って、僕は生徒にいつも上で紹介したような話をしています。
「わかる」を当たり前にする
これも上のショートコラムで書いた通り、
わからないが当たり前になった生徒たち
(特に人の顔色を読む生徒たち)
には、「わかる」を経験し、それを当たり前にするような状況が必要です。
だからウチでは学習内容を自由とし、本人が選べるようにした上で
「勉強に優先順位をつけること。わかりそうなところから優先的に手をつけること」
を指導します。
まずは「わかる」を当たり前にする。
そうすると「わからない」に出会ったときに、反射的に
「なんでだ?どういうことだ?」
と思えるようになってきます。
教科書を読むための「読解力トレーニング」
僕が作った「教科書を読むための読解力トレーニング」のプリントをご紹介します。



これは『リーディングスキルテスト(RST)』を参考にして、文章をもう少し長く、そして中学校の教科書に書いていそうな文にしたものです。
この教材の狙いは
「教科書を読む」を疑似体験することです。
今回つくったプリントでは
「教科書っぽい文章」
を3~5行程度読んでもらいます。
そして、質問に答える。
英・数・理・社の文章がまんべんなく出題されますが、どれも知識は要りません。
本文に全て書いているからです。
その代わり、パッと見では意味が分からない文章です。
「自分の足で、意味を取りに行く」
という感覚で読まなければ、正答できません。
これがまさに
「教科書で学び、テストで答える」
という学習の基本をミニスケールで練習することになります。
目安時間は1枚10~15分。
勉強のウォーミングアップとしてちょうどいい分量にしてあります。
一般向けには以下のサイトで販売していますが、塾生は教室のPCから無料で使えます。
毎授業の最初に1枚ずつ取り組むとかすると、読む意識が高まって良い状態でそのあとの勉強に取り組めると思います。
ぜひ試してみてください。
↓販売サイトはこちら↓
https://LAD.base.ec/items/155728432
おまけ 色彩のある世界へ
僕は学生の頃、勉強が大嫌いでした。
大嫌いだから、いかに勉強時間を減らすかに注力していて、それが塾講師として認知心理学を学ぶきっかけになったんだから人生はわからないものですが。
だから、というワケでもないですが、僕は
「勉強を好きになってほしい」
「わかる喜びを知ってほしい」
とかいう指導者が嫌いです。
もちろん勉強が好きなのは素敵なことだし、
わかる喜びは尊いものです。
でも、多くの生徒にとって勉強は
・やりたくないもの
・大人に押しつけられたもの
です。
一方的に押しつけてきて、好きになって欲しいなんて、えらく身勝手な話だ、
と思う気持ちを10代から消せずにいます。
というわけで、僕は普段は割とドライに生徒の勉強を見ています。
勉強が好きか嫌いか
勉強に意味はあるか、ないか
勉強をするか、しないか
そういうのは生徒が決めればいいこと。
僕はあくまで理論的に、生徒の勉強を分析する役割だと思っています。
合理的に、効率的に、勉強のやり方を指南する。
それが「押しつけられた勉強」に必死に向き合おうとする生徒たちに対しての僕なりの敬意のあり方です。
ただ、一方で、大人になった僕はわりと勉強を楽しめています。
上で引用したのは少し前にインスタで見つけた言葉。
良い言葉ですよね。
勉強すると、世界の見え方が変わります。
例えば僕はここ数年、デザインの勉強をしています。
デザインを学ぶだけで、街を歩いていても全然退屈しません。
これまでは存在にすら気づかなかったネイルサロンとかの看板を見ては、フォントや色の意味なんかを考えたりしています。飽きません。
同じ街を歩いていても、目に入る情報はその人の知識量に応じて変わります。
たくさん知識を持っていれば、それだけ多くの情報が飛び込んできます。
僕は“世界がカラフルになる感じ“と表現していますが、
少なくとも勉強が嫌いだったころの僕の世界よりも、
今の僕の世界の方がずいぶんと色彩豊かです。
本当はこれのことを学びと呼び、教養と呼ぶのだと思います。
その意味では、学習の理論もやり方も効率も無粋です。
記憶を定着させるためでも、応用問題に答えるためでもなく、
世界の見え方をカラフルにしていくためにこそ「わかる」が必要だ。
綺麗事ですが、これも本音です。
もしよかったら、勉強する時にそんなことも考えてみて下さい。
